シロヤギ塾の談話室

2019-07-23 07:21:00

一緒に勉強しよう

強く生き抜くために

 

これはシロヤギ塾の根幹にある理念です。

 

えっ、良い高校、良い大学=偏差値の高い学校に受かる事が勉強の最終目的じゃないの?


そう思われる方も少なからずいらっしゃるかもしれません。


もしそうだとするなら、偏差値の高い学校に受からなければ、それまでにしてきた勉強は意味をもたないのでしょうか?

 

シロヤギ塾ではそれを最終目的とは考えていません。


勉強を通して得られる最も大切なものは学歴ではないのです。

 

また、良い学校に受からないのは単純に努力が足りないからだ、

そう思われてる方が一定数いらっしゃるのではないでしょうか?

 

これがスポーツ、例えばサッカーの世界であれば、

才能や経験年数が最高到達点に大きく影響すると理解

している方が多いと思いますが、

勉強では違うのでしょうか?

 

いいえ、勉強でもはっきりと影響します。

 

これまで読んできた文章量、丸暗記ではなく理解を重視した勉強をしてこれたか、幼少期の様々な経験により形成される才能など、これらがはっきりと影響します。

 

こういうと残酷に感じますか?

 

勉強は努力以外の部分も結果に大きく影響する、とは言わずに

「勉強は努力が全てで、やれば誰でもできるんだ!何でお前はあの子より出来ないんだ!」なんて

言ってしまう事で、子供達は自分は努力できない人間なんだ、と自信を大きく失くし、自身の価値が低いと思い込む方がむしろ残酷だと思うのは私だけでしょうか?

 

じゃあどうすればいいんだ!とこんな声が聞こえてきそうです。

 

答えはシンプルです。

 

勉強は社会を強く生き抜くためにやるものだ、と考えるのです。

 

科目別に言います。

 

国語はコミュニケーション能力で最も大切な「聞く力」を養うために勉強します。

数学は与えられた情報を整理する力、そして今自分が持っている知識を組み合わせて課題を解決する力を養うために勉強します。

 

英語は自分の可能性を広げるために勉強します。

これは、日本という母国だけで収まるのではなく、海外の知見(エンタメ含む)に触れる、海外とビジネスする、こういった事を可能にすることを指しています。

 

そうです、これらの事が勉強を通して学べればいいのです。

 

なぜこう言えるのか。

 

日常の会話や仕事の場で、偏差値の高い学校に出題されるような文章でやり取りしているでしょうか?

していないはずです。それはその必要がないからです。

 

ですから、最終的に偏差値が高い学校に行けなかったとしても、上で書いたような事が学べていれば、それだけで十分なのです。

 

偏差値を人の価値を決めるものさしとしてしまう風潮は、子供たちの人格形成に大きく影響を及ぼします。

 

偏差値が高くない自分は何をやっても無駄だ、

こう思ってしまうと、例え好きなことや向いてるかなと

思う事柄があっても立ち止まってしまうのです。

 

偏差値主義、学歴主義は子供たちのエネルギーを奪います。

偏差値が高くてもそうです。

何のために勉強してきたのかわからずに何となく偏差値が高くなってしまった子どもは、社会という荒波に飲まれた時に生き抜く事が困難になります。

 

まとめます。

勉強をしなくて良い、と言っていません。

勉強はしましょう。

でも偏差値で一喜一憂するのはやめましょう。

偏差値では人の価値は測れません。

勉強を通して得られるものを理解し、努力のやり方を学び、大人になって自分の興味ある事を見つけた時に全力で努力し、強く楽しく生き抜きましょう。

 

家庭教師のシロヤギ塾

清水 雅則

 

 

 

2019-07-21 06:37:00
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こんにちは!

この記事では「勉強をする意味 国語編」を述べていきます。

 

さて国語と聞いてみなさんが思い浮かべる事はなんでしょうか?

 

「国語は勘やセンスで解くもの」

「筆者じゃないのだから当たるはずない」

「日本語は話せるんだから勉強する意味はない」

 

こんな意見が出てきそうですね。

 

でも、国語の文章読解で問われているのは「筆者の主張を自分の主観なしに掴む事」

 

したがって勘やセンスでとくというのは

もろに自分の主観で解いていることになります。

 

では国語の文章読解の本質が「筆者の主張を自分の主観なしに掴む事」であるとして、

それが一体何に役に立つのか?

 

結論から言えばコミュニケーション能力です。

 

企業が人材に求める能力の第1位はこのコミュニケーション能力であることは有名な話ですが、ではこのコミュニケーション能力とは一体何を指すのでしょうか?

 

スベらない話をする力でしょうか?

調子良く元気いっぱいに話をする事でしょうか?

 

それらは一部当たっているとは言えますが、

最も大切なものではないと考えています。

 

営業マン経験を通したからこそ見えた事、

上司と部下、取引先、引いては親と子、夫婦、

それら全てのコミュニケーションを円滑に進めるために共通する最も大切なこと、

それは「相手が何を言いたがっているのかを

正しく掴むこと」

 

思い返してみてください。

 

あなたが気分良く話をできた時、

それは相手がとても聞き上手だった時では

なかったでしょうか?

 

相手が適切なタイミングで相槌を入れてくれ、

話が進みやすくなったり、膨らむような、

短くまとめられた質問を適度にあなたに聞いていたのではないでしょうか?

 

逆に相手が自分の話を聞いてくれない理解してくれない時、

イライラした事はありませんか?

 

そうです、円滑なコミュニケーションに最も必要な力は「聞く力」なのです。

 

それもただ聞くだけではなかなかうまくいきません。

 

「相手が何を言いたがっているのかを正しく掴む」ことが大切なのです。

 

あれどこかで聞いたフレーズですよね。

そうです、国語の文章読解の本質と

コミュニケーションの本質は同じなのです。

 

ですから、「筆者じゃないからわからない」ということは、

他人の話はわからない、と言い換えられ、

それはコミュニケーションを放棄したとも取れます。

「日本語は話せるから勉強する意味はない」と言いますが、ではなぜ日本人同士でも人間関係の悩みは尽きないのでしょうか?

それは相手の言いたい事が正しく掴めていないからではないでしょうか?

 

自分はこう思うから相手もきっとこうだろう、といった勝手な主観=思い込みがコミュニケーションを難しくするのです。

 

この先無人島で一人で暮らしていかない限り、

誰と過ごすにしても、

どんな仕事に就くにしても

必ず必要になるのがこのコミュニケーション能力。

 

まとめますと、

コミュニケーション能力を身につけるために、

国語の文章読解に取り組みましょう、というのがシロヤギ塾の持論です。

 

 

家庭教師のシロヤギ塾

清水 雅則

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019-07-20 16:50:00
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こんにちは!

前回の記事では「勉強をする意味を

なぜ考えなければならないのか」について述べました。

 

今回の記事からは勉強をする意味そのものについて触れていきたいと思います。

 

さて急に哲学的な話をします。

 

「人がしあわせを感じる瞬間はどんな時でしょうか?」

 

答えはたくさんあるでしょうし、

そのどれもが正解になりうると思いますが、シロヤギ塾ではこう考えています。

 

「成長を実感できた時」

 

人生を1つの壮大なゲームだとしたら、

成長し続けることが良いエンディングを

迎えるのに最も関係するのではないかと思うのです。

 

さて、勉強は目に見える形、つまり数字で力が表されますので、成長が最も実感しやすいツールの内のひとつであると言えるでしょう。

 

ひとつと言いました。

そうです、シロヤギ塾では勉強が全てだとは

思っていません。

 

世の中には学歴はなくとも成功してる方々は

多くいらっしゃいます。

 

そういった方々はなぜ成功できたのでしょうか?

 

それは勉強以外の場で成長するための方法を

学んだから、と考えています。

 

ですから、勉強を無理強いするつもりはありません。

 

でも、もし今成長するための方法が学べていないのなら、勉強という1つのツールを通して、シロヤギ塾はあなたをサポートします!

 

各科目の勉強する意味は次記事に致します。

 

家庭教師のシロヤギ塾

清水 雅則

 

 

 

 

 

2019-07-19 12:16:00

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この記事では勉強をする意味について、

シロヤギ塾の考えを述べていきたいと思います。

 

勉強をする意味の詳細に触れる前に、

なぜ勉強をする意味を述べることにしたのかをお話ししておきます。

 

なお、勉強する意味の詳細については、

各科目別に別記事で述べていきますので

そちらも併せてご覧頂ければと思います。

 

さて本題に戻りますが、多くの生徒さんが

「なぜ勉強をしなければいけないのか?

何の意味があるのか?」について疑問を抱えながら、

仕方なく嫌々で勉強をしているか、または勉強を

する気が湧かないのではないでしょうか?

 

こういった疑問を抱えながら、いわば「強制」されて

勉強をする、というのは危険です。

 

成績はある程度上がるかもしれませんが危険です。

 

なぜなら、「目的や理由も分からないけどとにかく歯食いしばって

頑張ったらそれでいいんだ」という意識に繋がるからです。

 

学生の頃に根付いたこの意識は大人になった後、

対象が勉強から仕事になり、本当はやる意味もわからないし、

やりたくもない仕事を選ぶことにつながり、

それは本当の自分から離れてしまう事に繋がります。

 

そして最終的には「生きるよろこび」を感じることが困難になります。

 

ですから、勉強する意味を理解し必要だと感じた上で

勉強を選択すること、がとても大切になるのです。

 

と言いつつも、私自身はかつて学生の頃こう考えていました。

「勉強する意味?そんなの簡単だよ。

 良い大学に入って、その学歴を使って良い会社に入るためだよ」

 

果たしてそうでしょうか?

そうだとしたら「勉強をする」という行為それ自体に

意味はないということになるのではないでしょうか?

 

言い換えれば、もしあなたがとてつもない豪運の

持ち主で、マークシートでその豪運をフルに発揮して、

全く勉強せずに良い大学に入れたとしたら、

それでもよいということになりませんか?

 

でも今の私はそうは考えていません。

 

一流と呼ばれる大学を卒業し、大手メーカーの営業マンとして働き、

その後過労でボロボロになってうつ病になり、

々な経験を経た今の私はそうは考えていないのです。

 

だから知って頂きたいし共有したいんです。

勉強をする本当の意味を。

そして「生きるよろこび」を見つけて頂きたいのです。

 

次記事から科目ごとの特徴に触れながら、

詳細を述べていきたいと思います。

 

シロヤギ塾 講師

清水 雅則

 

 

 

 

 

 

 

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