シロヤギ塾の談話室
こんにちは!
この記事では「勉強をする意味 国語編」を述べていきます。
さて国語と聞いてみなさんが思い浮かべる事はなんでしょうか?
「国語は勘やセンスで解くもの」
「筆者じゃないのだから当たるはずない」
「日本語は話せるんだから勉強する意味はない」
こんな意見が出てきそうですね。
でも、国語の文章読解で問われているのは「筆者の主張を自分の主観なしに掴む事」
したがって勘やセンスでとくというのは
もろに自分の主観で解いていることになります。
では国語の文章読解の本質が「筆者の主張を自分の主観なしに掴む事」であるとして、
それが一体何に役に立つのか?
結論から言えばコミュニケーション能力です。
企業が人材に求める能力の第1位はこのコミュニケーション能力であることは有名な話ですが、ではこのコミュニケーション能力とは一体何を指すのでしょうか?
スベらない話をする力でしょうか?
調子良く元気いっぱいに話をする事でしょうか?
それらは一部当たっているとは言えますが、
最も大切なものではないと考えています。
営業マン経験を通したからこそ見えた事、
上司と部下、取引先、引いては親と子、夫婦、
それら全てのコミュニケーションを円滑に進めるために共通する最も大切なこと、
それは「相手が何を言いたがっているのかを
正しく掴むこと」
思い返してみてください。
あなたが気分良く話をできた時、
それは相手がとても聞き上手だった時では
なかったでしょうか?
相手が適切なタイミングで相槌を入れてくれ、
話が進みやすくなったり、膨らむような、
短くまとめられた質問を適度にあなたに聞いていたのではないでしょうか?
逆に相手が自分の話を聞いてくれない理解してくれない時、
イライラした事はありませんか?
そうです、円滑なコミュニケーションに最も必要な力は「聞く力」なのです。
それもただ聞くだけではなかなかうまくいきません。
「相手が何を言いたがっているのかを正しく掴む」ことが大切なのです。
あれどこかで聞いたフレーズですよね。
そうです、国語の文章読解の本質と
コミュニケーションの本質は同じなのです。
ですから、「筆者じゃないからわからない」ということは、
他人の話はわからない、と言い換えられ、
それはコミュニケーションを放棄したとも取れます。
「日本語は話せるから勉強する意味はない」と言いますが、ではなぜ日本人同士でも人間関係の悩みは尽きないのでしょうか?
それは相手の言いたい事が正しく掴めていないからではないでしょうか?
自分はこう思うから相手もきっとこうだろう、といった勝手な主観=思い込みがコミュニケーションを難しくするのです。
この先無人島で一人で暮らしていかない限り、
誰と過ごすにしても、
どんな仕事に就くにしても
必ず必要になるのがこのコミュニケーション能力。
まとめますと、
コミュニケーション能力を身につけるために、
国語の文章読解に取り組みましょう、というのがシロヤギ塾の持論です。
家庭教師のシロヤギ塾
清水 雅則