シロヤギ塾の談話室

2019-08-06 16:00:00
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こんにちは!

暑い日々が続きますがいかがお過ごしでしょうか?
私はのど風邪にかかって3日目、熱こそ出ていませんが、ギリギリの状態が続いています😓
さて、
これまでシロヤギ塾の理念についてお話してきました。(未読の方は前の記事の「強く生き抜くために」だけでも目を通して頂ければ幸いです❗️)
この記事ではわたくし清水についての話をします。
タイトルは「しくじり先生」
まずは私の受験遍歴をザッとお話しすると、プロフィール欄にもあるように、中学受験、大学受験を経ていますが、どちらにおいても偏差値を高め続ける激しい競争の中に身を置いてきました。
(まだ幼かった中学受験では、競争の激しさのあまり、人相が変わるほどでした)
そして、大学受験においては、「就職を有利に運ぶ」その一点のために偏差値を高めることに全身全霊で取り組みました。
結果、晴れて私学最難関の慶應大学に進学、そして第一志望の大手ホワイト企業に就職するに至ったのでした。
おお、まさに順風満帆。プラン通り。
これで経済的に悩まされることなく安心して暮らしていける。
俺は勝ち組だ❗️❗️❗️
と当時は思ったものでした笑
その後、社会人としてのイロハを学び、営業マンとして確実に力をつけていき、その手応えを感じていました。
そして、ホワイトな会社の唯一のブラックと呼ばれていた部署に配属に。
今までの部署とは打って変わって、自分がコントロールできる範囲はわずかで、日々忍耐を強いられ理不尽な目に何度も遭わされていました。
その気持ちは決して私だけが抱いていたものではなく、部署で飲み会を開けば愚痴大会。
当時の私は、自分の仕事に誇りは持てず、一体何のために働いてるのかを完全に見失っていました。
そんな日々が1年半過ぎた頃、心労がたたり、うつ病に、そして文字通り体が動かなくなってしまったのでした。
うつになり多忙な日々から離れてはじめて、「仕事って何だろう」
「はたらくって何だろう」
「おれはどう生きたいんだろう」
と考えたのでした。(遅い❗️)
ここまでの話を通して何が言いたいのか。
私は偏差値至上主義や勝ち組負け組思考に完全に染まってしまっていて、上に書いたような人生の根本について考えられなくなってしまっていたのです。
本来人それぞれが探し求め、その結果は違っていいはずの「人生の意義」や「しあわせのカタチ」を、気づかないうちに肩書きや年収にすり替えてしまっていたのです。
 
もちろん、その原因が私自身にないとは言いません。
しかし、既存の社会や教育にも多分にあると考えていて、このままでは、かつての私のような思考に陥る人々を生み出す可能性はしばらくは低くなることはない、と思ったのです。
だから、シロヤギ塾を開くことにしたのです。
偏差値至上主義ではない教育を求めて。
勝ち組負け組思考で自分の人生を測ってはいけない❗️とハッキリと言い切る大人が、教育の現場に居てもいいじゃないか、と考えて。
念のため注釈させて頂くと、前の記事でも述べましたが、偏差値の高い学校に入学することに意味がないとは一切思っていません。
大企業、有名企業になればなるほど、書類審査でハッキリと学歴フィルターはありますし、首都圏で言えばいわゆるMARCH以上でないと面接さえ受けられないなんてことはザラにあります。
高い学歴が「就職するための可能性を広げること」は否定しようがない事実です。
ですからご安心ください。
偏差値を上げるためのサポート、具体的に言えば各科目の指導は、徹底的に質を求めて行います。
でも、
「勉強する意義は偏差値の高い学校に受かること以上に大切なことがあるで」
「自分の人生を測るモノサシを安易に年収や肩書きに委ねてしまうと、心の栄養失調になるで」 
「偏差値を求めることは自分の可能性を広げる手段の1つに過ぎなくて、それが目的になったらあかんで」
※筆者は関西生まれのため、熱が入ると関西弁になる癖があります。
これらの考えを伝えたくてシロヤギ塾はスタートしました。
もちろん、これは私個人の考えであり、絶対的に正しい考えとは思っていません。
1つの意見として見ていただければと思います。
長い記事になりました。
最後までお読み頂きありがとうございます。
ではまたお会いしましょう❗️
学びましょう
強く生き抜くために
家庭教師のシロヤギ塾
代表 清水